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クラシックとは?/ レイク

[ 630] クラシック名曲サウンドライブラリー
[引用サイト]  http://www.voiceblog.jp/andotowa/

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昨年1年間、NHK-BSで放送していた「ぴあのピア」の中で、個人的に最も印象に残った曲です。グリンカといえばどうしても、ルスランとリュドミラ序曲の華やかな印象が付きまとうのですが、実はこんなにロマンチックでセンスのいいピアノ曲もあったのです。初めて聴く方は多分ショパンを想起するでしょう。私もそうでした。しかし実際にはむしろ、時代的にもショパンの方がまねたとも言えるのです。ショパンはノクターンの創始者であるアイルランドの作曲家ジョン・フィールドに多大な影響を受けています。事実初期には、ほとんどフィールドのまねに近いものがありました。フィールドはロシアに行き、そこで音楽活動や教師をしていた時期があります。その時の弟子のひとりがグリンカだったのです。ショパンは直接フィールドに会ったことはありません。でも、グリンカは直々にフィールドに師事しながら、そこにロシア特有の感傷性を加えたノクターンを作りました。それが「別れ」です。フィールドのノクターンはどれも感傷性はなく、さらっと聴きやすいので、むしろグリンカの方がショパンにも通じていく精神的情緒を感じさせます。この作品はグリンカが円熟期だった1839年、35歳の時に作曲され、妹のエリーザヴェタ・イワノヴナ・グリンカに捧げられました。
ショパンの最高傑作との呼び声も高い名曲です。ピアノ独奏の大曲としては「幻想ポロネーズ」と共に最後の作品になります。舟歌は通常8分の6拍子ですが、船がゆったりと水面を進むイメージを表現するために、ショパンはあえて8分の12拍子を指定したといいます。「舟歌」を作曲した時ショパンは36歳でした。ジョルジュ・サンドとの別れを翌年に控え、体調も芳しくない方向に向かい、経済的にも逼迫しつつあった時期です。そのためかこれ以降は作曲作品数が激減していきます。この曲の初演はショパン自身によってパリで行われましたが、楽譜上はフォルテシモと表記されているコーダを、消え入るようなピアニシモで弾いたということです。
フランツ・ドップラーはハンガリーのオーストリア領だったガリツィア・ルヴフ出身の作曲家、フルート奏者です。18歳でブダペスト歌劇場の首席フルート奏者に就任した後は、ウィーン宮廷歌劇場の首席フルート奏者、首席指揮者にも就任。そしてウィーン音楽院のフルート科の教授をも務めました。カヴァティーナで知られる作曲家のラフと共にリストの弟子でもあった彼は、有名なハンガリー狂詩曲のオーケストレーションも手がけています。生前はオペラやバレエの作曲家として成功していたドップラーは、同時に卓越したフルート奏者であり、同じくフルート演奏家だった弟のカールと共に超絶技巧を要する自作曲を携えて演奏旅行を行い、ヨーロッパ中を席巻しました。そんな彼の残したフルート曲の中でも特に日本での人気が高いのがハンガリー田園幻想曲です。全体に3つの部分から構成されますが、冒頭からの旋律はどこか東洋的な情緒を漂わせ、それが日本人の琴線に触れるのだといわれています。
意外なことなんですが、モーツァルトはフルートという楽器がそんなに好きではなかったようです。だからというのではありませんが、モーツァルトが作曲した管楽器のための協奏曲はほとんどが、誰かに頼まれて仕事として作ったもので、自ら進んで作曲したというものではないんですね。今回のフルート協奏曲第2番も第1番とあわせて、商人でフルート愛好家のフェルディナン・ド・ジャンという人物の注文を受けて作曲されました。でも実はこの第2番は、期限に間に合いそうもないので、前年に作ったオーボエ協奏曲ハ長調のKeyを、1音上げて少し手を加えただけのものなのです。これが依頼主のド・ジャンに知られてしまい、結局報酬は半分以下しかもらえなかったそうです。そのためこの第2番を録音しない指揮者も多いのですが、フルート奏者にとっては欠くことのできないレパートリーのひとつですし、大体、第1番と第2番はCDではカップリングで発売されていることが多いです。
テレマンは後期バロックから古典派時代にかけて活躍した、ドイツはプロイセンのマクデブルグ出身の作曲家です。生前は同時代のJ.S.バッハやヘンデルをも凌ぐ人気と名声を得ていたと言われています。どちらかというと大衆にも親しみやすい音楽を数多く書き、そのジャンルはオペラ、室内楽、協奏曲、管弦楽曲、受難曲、教会カンタータと多岐に渡り、数にしておよそ4000にのぼるという多作家です。死後は長い間忘れ去られていましたが近年になって、オリジナル古楽器による演奏などで再評価が高まっています。「無伴奏フルートのための12の幻想曲」はバロックの音楽様式が一通り揃ったようなバラエティ感に富み、美しい旋律を持った洗練された名作です。
第1巻と第2巻、それぞれが12曲からなる前奏曲集は、ドビュッシーのピアノ音楽のひとつの頂点であると同時に、近代ピアノ音楽の中でも特に優れた作品とされる傑作です。比較的、短期間で作られた第1巻に対し、第2巻には4年近くの年月が費やされています。第1巻では「亜麻色の髪の乙女」や「沈める寺」などが、また第2巻では「水の精」や「花火」といった曲が有名で、単独でもよく取り上げられて演奏されています。「花火」は前奏曲集第2巻の最後を締めくくる難曲です。パリ祭の花火を描いたかのようなこの作品は色彩感にあふれ、花火が鮮やかに夜空を彩る光景が目に浮かぶようです。エンディング近くではフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」からの引用も聴こえてきます。
スペインのアンダルシア地方の民謡では、ギターはなくてはならない主要な楽器でした。フラメンコでもギターは踊りを盛り上げるために大活躍しています。アントニオ・デ・トーレスというギター職人はそれを改良して、現在のクラシック・ギターの原型を作りました。トーレス作は少し小さいことを除いて、ほぼ今のクラシック・ギターと同じものといえます。タレガは優れた演奏技巧によって、クラシックの世界におけるギターの地位を確立させた重要な人物です。ベートーヴェンやメンデルスゾーン、ショパンなどのピアノ曲をギター用に編曲することで、ギターとクラシックのつながりのイメージを強めることに貢献したともいえます。作曲家としてのタレガはショパンを敬愛し、その作風にも詩的な旋律と超絶的な技巧の融合という形で影響が表れています。「涙」は「アルハンブラの思い出」などと共に愛されるタレガの代表曲のひとつです。
「ドリゴのセレナーデ」の名で知られる「愛のセレナーデ」の作者として有名なリカルド・ドリゴは、19世紀から20世紀にかけて活躍したイタリア出身の作曲家、指揮者です。音楽家としては主に、ロシアのペテルブルグの劇場でバレエ音楽の作曲や指揮などをしていましたが、ロシア革命以降はあまり恵まれない環境となり、故郷のイタリアへ帰ってそこで亡くなるまで過ごしています。「愛のセレナーデ」はほとんど唯一といっていいドリゴの代表作で、自作のバレエ音楽「百万長者の道化師」の中の1曲です。日本には昭和16〜18年(1941-43)頃に紹介され、ラジオから流れるその音楽に多くのファンが心躍らせたようです。当時の日本ではクラシックほど重くなく、流行歌ほど軽くない軽音楽(今でいうイージーリスニング)が登場し、とても人気を博していました。この曲も原曲よりそうした軽音楽にアレンジした形で聴かれるのが一般的だったようです。
「神のように悠久でオリンポスの山のような高雅な高みへと飛翔する作品」大指揮者ブルーノ・ワルターはそう呼んで、この曲のリハーサルには一際真摯な情熱を傾けたといいます。ベートーヴェンを心から尊敬し愛したシューベルトは死のおよそ9ヶ月前、ベートーヴェンの一周忌にあたって思うところがあったのか「もうリートはやめた。これからはオペラとシンフォニーだけを書くことにする」と言い、下書きもなくあふれ出る楽想をそのままに、わずかな期間で1曲の交響曲を書き上げました。彼の最後の交響曲となった巨峰「ザ・グレイト」です。この曲はシューベルトの死後10年、未発表のまま彼の兄の手元に眠っていましたが、運命的な流れからそれをシューマンが発見。すぐさま友人のメンデルスゾーンに手渡され、彼の指揮によってようやくこの世に放たれました。シューマンはこの曲を「あくことを知らない神々しいまでの天上的な長さ」と言って、心からの賛辞を贈りました。ベートーヴェン的な力強く前向きな精神とシューベルト特有の歌心が、荘厳な建築物のような立派な造りの中に封じ込められた、「未完成」と双璧をなす不滅の名作です。シューベルトはこの曲の完成から9ヶ月後の1828年11月19日に「このようなところにはいられない。ここにはベートーヴェンはいないんだ」とうわごとのようにつぶやいて息を引き取りました。
♪大規模な管弦楽の華々しい演奏会用序曲受験シーズン真っ只中。クラシックでも縁起のよさそうな曲はないかということで、今回はこの曲をお届けします。1879年、ブラームスはドイツのブレスラウ大学から名誉博士号の称号を贈られ、それに対する感謝の意として翌年、1曲の序曲を作曲、更に翌年の1881年にブレスラウで自ら指揮をし、初演を務めました。当初ブラームスは祝典用の厳粛な曲を構想していましたが、結局はドイツに伝わる学生歌の中から4曲を選び、そこに自作の主題も織り交ぜていわゆる序曲風の、モチーフが次々接続されていく作品に仕上げました。大学受験ラジオ講座などで有名なファゴットが奏でる軽快な旋律は、「新入生の歌」という学生歌のひとつです。ブラームス自身が“笑う序曲”と呼んだこの曲は、いつも深刻な彼にしては珍しく、明るく開放感あふれる作品です。ブラームスはこの曲をピアノ連弾用に編曲して、長年慕うクララ・シューマンの誕生日祝いとして捧げました。曲を受け取ったクララはその朝のうちから練習に励み、夕方にはブラームスと共に演奏したということです。「輝かしい序曲」と呼んで、クララはこの贈りものにとても喜んだそうです。

 

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